令和を迎えるにあたって昭和最後の日~平成への移り変わりを思い出す
昭和最後の日は土曜日でした。
当時は週休二日制などではなく、土曜日は半ドン(懐かしい響き)でした。
会社について間もなく、
「天皇が崩御されました」
と、社内放送で事の次第を知りました。
既に仕事を始めていたので、崩御と聞かされても退社することなく、通常に業務を行っていました。次の日は日曜なので、そのために日本国中の企業の営業は止まることは殆どありませんでした。
それより前から、昭和天皇の健康状態が悪化しており、毎日の報道で天皇の体温、血圧がトップニュースとして知らされる始末。全国的に天皇の健康を祈願した御記帳も流行りました。
血圧70/30なんてとてもとてもまともに生存しているとも思えず、ただ生かされているのだと感じ、人間らしく死ぬことも叶わない天皇に哀れを感じたものです。
おそらく、土曜日に崩御されたのも、できるだけ経済を止めないようにと有識者が決めた事なんでしょう。
日本国中が喪に服す日がやってきました。
テレビ放送からバラエティが消え、どのチャンネルでも天皇崩御の話題ばかりです。これがしばらくの間続きました。
後に国の掲げるお葬式、大喪の礼が執り行われました。
調べると2月24日だったのですね。私の記憶では翌週か翌々週くらいだった気がしていたんですが、一ヶ月以上も後だったんですね。
多くの友人たちはここぞとばかりにスキーへ出かけました。
私は都内居残り組で、さて何をしようかと。レンタルビデオショップが品薄状態でした。この日は都内のアミューズメントはほぼ休業状態。唯一開いていたのが東京ディズニーランドです。
そのディズニーランドもパレードは無く、無音で雨模様のディズニーランドを駆け巡りました。さすがに閑散としていてビッグサンダーマウンテンに3回も乗ったんですよ。乗りすぎるとつまらないものです。
さて、今回の平成から令和へは、天皇崩御ではないので純粋にお祭り気分でいられます。明仁天皇にはそういった計らいもあったのではないかと思われます。
昭和30年代生まれということで、私と同世代の天皇皇后両陛下の時代をこれから歩もうとしています。もう、昭和もふた昔前の世代になってしまうのですね。
令和の世の中が明るく国民が、人類が笑顔である時代であることを信じます。
【1/100】19/5
投稿者プロフィール

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一級建築士・住まいづくりナビゲーター
沖縄生まれ
子ども3人
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